2013.12.15
綺麗でしょ。
ペットボトルで作られたクリスマスツリーです。
部屋の片隅で清らかな美しさを放っています。
ツリーは8段です。ペットボトルのキャップ部分とボトルの
まわりのフィルムをはずしてクリアーになったものを集め、
2gのボトルを下段に500_gのボトルを上段に段々小さく
細かく円錐状に作ってあります。
そこにライトやモール等で飾り付けが施されています。
素敵なクリスマスになりそうですね。メリークリスマス!
2011.9.29 あっちゃんから届いたメール。
「8月30日の情報です」
石巻の糸のお店の方の話です。
命は助かったものの店の商品は売り物にならなくなりました。
静岡県立美術館から、その糸を買う…という話がありました。
代金は津波で家族や家を失った人にまわしてほしい…と
無償で段ボール箱七箱分の糸を送りました。
糸には泥がついていたり、海水の匂いがしましたが、
若い作家らが復興をイメージしデザインして作品を創作展示し、
市民も300人参加し、匂いや泥で被災を感じるイベントを催しました。
また、静岡県立美術館から被災地の子供達に絵の具、画用紙、Tシャツなどが送られました。
また、京都市の交流ホールでは、石巻の子供達が瓦礫で作った人形を展示しました。
子供達にとっては瓦礫もおもちゃになるのです。
人形の表情は暗くなく、面白いし、かわいいものばかりでした。
2011.8.3
滅茶苦茶…この光景を伝えるに最適な言葉です。
名取市閑上港と仙台市若林区荒浜港に
行って来ました。海岸付近は規制があり行けません。
瓦礫が片付けられだだっ広い土地に住宅が建っていた
であろう土台だけが残っていました。
根こそぎ倒された松林、あちこちに点在する船、
原型が解らない位壊れた車、半壊の家々…
声が出ませんでした。
漁港ではないのに蝿がいました。
馬小屋のような臭い…。
写真は何もなくなった街と
瓦礫の中の原型の解らない車です。
2011.7.16
[スッピンも馴れてしまえばエコだから]
[前向きに生きたいけれど前どっち]…避難所の人の川柳です。
写真は仙台駅です。構内は元に戻っていました。
隣接する駅ビルも付近も殆ど平常どおりです。節電のため
照明を落としていたり閉店の店(定休日)もありました。
所々工事中の囲いはありましたが、
人々は行き交い賑やかでした。
被災の大きかった所は未だに避難所生活で仮設住宅を
首を長くして待っています。
同じ宮城県内でも温度差が出てきています。
2011.8.28
写真は仙台駅から少し離れた所にある
シルバーセンターの入り口です。
震災後使えなくなった公共施設です。
すっかり戻り、利用者がたくさんいました。
他の公共施設も徐々に復旧しています。
キャンセルばかりだったコンサートも復活しています。
震災後、普通ならとてもお会いできない人々が、
世界中、全国各地から訪れてくれます。
有難いです。
28日は震災で遅れていた仙台市議会選挙があります。
復興に向かって熱く温かい人々の立候補です。
2011.9.28
9月下旬なのにヒマワリ?
20万本のヒマワリが美しく咲いていました。
少し小さめで背丈約1m、
花の大きさは手のひらサイズでした。
松島町根廻(ねまわり)のヒマワリです。
台風15号で水につかったそうです。
葉っぱには所々泥がついていました。
太陽に向かってたくさんの花がスックと立っていました。
2011.9.28
写真は松島です。
あまりひどい被災の写真は撮れませんでした。
内海になっている所や松島の島々で守られた所は
かなり復旧していましたが外海の直撃を受けた所は
悲惨な状況でした。
人手が足りないのでしょうね。道路が通れるように
なっているだけで復旧はほとんどされていない状況
なのじゃないかしら…。
怖かっただろうな、どこに逃げたのかしら…?
高い所のない一面の平地、すぐ海…を
見つめて来ました。
今は穏やかで綺麗な海が広がっていました。
2011.10.13
メディアテークの公募展を観てきました。
震災をテーマとした作品が多かったです。
それぞれの辛い思い、復興への期待、鎮魂…
体験の重さに胸の痛む想いでした。
何かを通して伝えよう…との熱い思いを感じてきました。
仙台の市街地で“がんばろう 東北”のスローガンを
見かけなくなりました。市街地は、ほとんど元に戻っています。
山や宮城県の北部は紅葉の便りを聞きますが、
仙台市街地は始まりの兆しでした。
2011.12.16
この冬初めての雪を見ています。
ながーい冬の始まりです。
でも、初雪は何となくワクワクします。
それに雪は、すべてを覆い隠し別世界を
見せてくれるから…。
3月には寒さに泣いた雪で、断水の時は、
貴重な水資源と集めた事が懐かしいです。
とにかく綺麗だな〜と思います。
写真は降り始めた庭の景色です。
2012.1.6
写真は東北大学病院の中です。
(ちゃんと人の居なくなった時間で、
機械にも影響のない時に撮りました)
ホスピス、その他病気の入院施設、外来、
救急センター…ほか、とにかく広いし、あらゆる
施設が揃っています。理容・美容店、郵便局、
旅行店、時計店、ギャラリーなど、
病院のイメージから離れた店も揃っています。
患者の人間性を尊重した全人的医療を
目指しているからでしょうね。
嬉しいし、ありがたいし頼りになる病院でした。
2012.2.8
「元旦や こよみがなければ ただの朝」
こんな川柳に吹き出しながら巡ってきた新しい年も、
早くも2月です。
今年はシンシンと冷えます。日本海側は豪雪で大変です。
ここ仙台は大雪ではないですが、ずっと雪を見ています。
一ヶ月以上外出していません。車椅子はお手上げなのです。
冬ごもりをしています。
幸せな事に自分の世界にひたり描いています。
機関誌ができました。
もう災害は、さよなら…という思いを込めて、
破魔矢を持った女の子を描きました。
2012.3.14
仙台市のクリスロードの屋根の下に沢山の旗が
見上げた所を飾っていました。
“「復興へ!学校の力を結集」仙台市内の小学校125校、
中学校64校で応援旗を作成しました。ご覧ください”と。
市街地は殆ど元に戻っていますが、津波・地震そのものの
被害など、まだ大変です。
メディアテークも1月27日に、やっと全館の修理が終わりました。
宮城県内でも温度差が顕著です。
県内でも励ましあっています。
沢山の問題がありますが、前進しています。
2012.4.24
桜前線が北上してきました
2〜3日前からの暖かさに開花しました。
近くを散歩して花見と洒落込みました。
桜は五分咲きです。
桜のピンクと黄色のレンギョ、白木蓮などが
春の空に映えていました。
やっと巡ってきた春…と感慨深かったです。
昨年は、花見をする気持ちにもならなかった
ですから…。
東日本大震災を扱った作品を展覧会に出品しました。
作品の項に載せましたので、見てください。
2012.5.16
川柳が好きでラジオで面白いものを聞くとメモをします。
そのうちの2つです。
「立ち上がり 目的忘れ また座る」
「女子会と 覗けばみんな 60代」
みんな同じなのねーと、思わず笑いました。
この表紙絵の女の子は、
若いわか〜い幼稚園位の子供です。
天真爛漫に笑顔をふりまき、“希望”の表紙を飾っています。
2012.6.22
画材店の二階に喫茶室があります。
写真は、そこから眺めた道路です。
仙台は、いたる所にケヤキ並木があります。
このグリーンベルトもケヤキの木々が美しい所です。
この季節は、夏になる前の若葉が美しく、
木陰が車や人に優しい光を与えてくれています。
“杜の都”と言う通りの緑の美しい、空気の美味しい街です。
2012.7.20
宮城県美術館の紹介編その2です。
この写真は美術館の“アリスの庭”です。
このように広々とした庭園にいろいろな彫刻が点在
しています。
『蛇に注意して下さい。』という貼り紙がありました。
広瀬川のせせらぎが聞こえます。
小高い所からは仙台市街地のビル群が眺められます。
近い距離に緑とビル群があるのは、
仙台独特の景色です。
遊びに興じたり、弁当を拡げたり、散策にふけったり…
さまざまな人の空間でした。
2012.8.6
この写真は、同じくJR仙台駅の構内です。
お子さんが七夕飾りで遊んでいます。
至るところで老若男女が見上げたり、さわったり…。
写真を撮っている人も多かったです。
仙台市街地には、別の飾りもあります。
近年は、パレードやすずめ踊り(仙台の祭りの時の踊りです。
雀を模して…らしいです。)が披露されるそうです。
楽しんでもらおうと趣向を凝らします。
2012.9.13
ここは、朝晩しのぎ易くなりました。
蝉の声が秋の虫の声に変わっているのを感じます。
時の流れ…と言えば、東京タワーから東京スカイツリーと
変わりましたね。
「まっすぐに空に伸びる大きな木、そして、そこに集い、
心寄せあう人々を思い描いた」という記事を目にしました。
“友の会”のようだ…と思い、機関誌に描きました。
2012.8.6
東北の夏祭りが始まっています。
仙台七夕は、8月6・7・8日です。
5日は前夜祭で花火が打ち上げられます。
毎年、仙台市民はわきますが、
今年は復興への熱い思いもあり、
鎮魂と共に宮城県の人の想いが漂っています。
この写真は、JR仙台駅の三階から二階を眺めたものです。
東北新幹線でいらっしゃた各地の皆さまを歓迎して
七夕飾りで迎えています。
2012.7.20
この写真は宮城県美術館の佐藤忠良記念館側の
入口です。
美術館は広く、メインの正面入口は別にあります。
常設や特別展の展示場の他に、創作室、ハイビジョン・
ギャラリー、図書室(美術書のみ)、ミュージアムショップ
レストラン、コーヒーショップなどがあり、野外彫刻が
点在する庭もあります。
故佐藤忠良は宮城県が誇る偉大な彫刻家で、
記念館の他にも定禅寺通のグリーンベルトなどに
野外彫刻があり県民に親しまれています。
2011.10.13
膠原病友の会の機関紙の表紙です。
震災の時、その後、定期薬などをどのように入手したか…
など患者同士で情報交換が盛んです。
常に病気と向き合っている者にとっては一大事でしたから。
透析中の人もいましたし、入院・外来受診中の人…
いろいろです。
東京の本部から、震災直後に医師の指導があったり(薬の
飲み方など)、全国の人の温かさ支えの力強さを感じました。
地震は、もう来ないで欲しいけど、
人の優しさをこんなに感じたことはありません。
感謝!
2013.8.8
また自動ドアの玄関を出た所に昆虫がいました。
写メールをパチリ!“ナナフシ”です。
6本の足が長くて、その足で前進。そうすると体が
ユラーリユラリと揺れます。その揺れがおさまってから、
また1p位6本の長い足を使って前進します。
竹ひごで作ったような昆虫です。
コンクリートの上だから解かりましたが植物の中に
居たら何かの茎と思って気がつかないでしょう。
体には腹と思う所から尻尾にかけて節みたいなものが
いくつかありました。
2012.10.8
この写真は“よさこいソーラン踊り”です。
仙台駅前のペデストリアンデッキです。
(仙台駅前は、この地上二階のスペースで発展。
歩道橋の拡大型。)
全国各地から集まったグループが踊りを披露します。
一つのグループは15名以上、老若男女入り混じって
います。曲目も衣装も自由です。“鳴子”と呼ばれる
カスタネットのようなものを両手に持ち、踊ります。
旗は大漁旗なのでしょうか大きな旗を振って、
勇壮そのものです。
エネルギッシュで粋でかっこよかったです。
2012.10.22
仙台市街地のど真ん中ビルばかりの中に、
こんな木造の家屋が建っていました。
写真の左側には『天地有情』と彫られた石碑が
あります。『荒城の月』の作詞で有名な土井晩翠の
“晩翠草堂”でした。仙台出身のこの詩人は、全国の
学校に校歌を作っています。将来を担う子供達に
夢と希望を持たせ…。
校歌を歌う集会があり、毎年、全国の子供達が
集まって来ます。
仙台には、“晩翠通り”や“晩翠画廊”など個人を偲ぶ
名前があります。10月19日が命日だったので、
さまざまなイベントが催されています。
2012.11.1
この写真は、宮城県立美術館の中庭のひと隅です。
東日本大震災後、世界各地からのいろんな展覧会、
コンサート、イベントが催されています。
でも、被災の温度差を感じるにつけ、観に行く事に
後ろめたさがありました。
まだガレキで苦しんでいる人、1m以上地盤沈下した為、
雨量や満潮で水びたしになるので土地のかさ上げ問題
寒さ対策の仮設住宅、水揚げしても加工施設のない
漁業…問題が山積みの復興です。
ある人が「こうして宮城県でお金を使ってくれる事も
復興の大きな力になるのよ。」と教えてくれました。
安心して展覧会を見ました。
2012.12.1
今日は、雪の便りを届けます。
11月27日に初雪が観測されましたが、
青空のもと雪が舞っただけでしたので
《冬の入り口》と覚悟をした位ですみましたが、
今日は雪空です。さっそくみるみる積もりました。
まだ本格的な冬ではなく冬の前ぶれですが、
やはり東北の冬は早く始まりますね。
不思議な自然現象とポカンと空を見上げる日の
始まりです。
2012.12.5
この写真はメディアティークから見た定禅寺通りの
ケヤキ並木です。
このケヤキに豆電球が取り付けられて、
仙台の冬の街を彩る《光のページェント》になります。
昨年は、津波で豆電球が流され開催が危ぶまれましたが、
各方面からの援助で開催にこぎつけました。
今年も、鎮魂と復興への願いを込めて開催されます。
2012.12.9
この写真は、今朝カーテンを開けた時の景色です。
びっくりしました。
時間がたつにつれ雪は止みました。
積雪量は増えずにすみそうです。
仙台市街地より高台になっているため、
2〜3℃低いのです。
だんだん冬本番になっていってます。
2013.1.14
朝から雪が降っています。
あちこちで“大崎八幡宮”の“裸参り”を心配する声が
聞かれます。
仙台では毎年1月14日に“どんと祭”という行事が行わ
れます。神社の境内で正月の飾りを焼き、御神火に
あたる事で一年の無病息災・家内安全を祈願します。
その日に、“裸参り”といって白ふんどしで胴にはさらしを
巻いた男衆が、口に神紙をくわえて無言で行進します。
その心意気をたたえ見物客も多いのですが、
今日は、この寒さに心配の声が多いです。
2013.2.6
2013年になったと思っていたら、もう2月です。
今日は、雪が降っています。全国的に雪だそうです。
宮城県の南の方、福島県に近い所に、亘(わたり)町という
所があり、苺の栽培で有名です。(東日本大震災で大被害を
受けました。)そこをはじめ、全国各地の苺が出回ってきた…
と思っていたら雪です。
春は暦の上の話でまだ寒い日が続きますね。
写真は、膠原病友の会の機関誌です。
表紙の初詣の女の子に、
今年一年のみんなの健康を祈りました。
2013.3.12
写真は近くのバス停です。
ちょうどバスが停車しました。
車のガレージのような屋根がついています。
このおかげで、雨の時に傘をささずにすみます。
雪の時も助かります。
逆にカンカン照りの時は日差しをさえぎってくれます。
何気ない心遣いが大助かりです。
仙台の市内には、こういう屋根つきの停留場が
数か所あります。
2013.4.29 2
さっきの所をズームアップした写真です。
穏やかな水面、湖岸には葦が生えていました。
小美玉市は平成の大合併で新しくできた市です。
未来にはばたく、これから開発されていく市です。
“小美玉プリン”という超高級プリンがあるそうです。
名匠作成の陶器に入った1ケ1,000円のプリンです。
おひとついかがですか?
2013.5.17
暖かくなりました。
戸外で働く人の姿をたくさん見かけるようになりました。
トラクターで働く人、畑仕事にいそしむ人、工事の人、
犬の散歩…。季節と共に人も活動を活発にしています。
この写真は、膠原病友の会の機関誌の表紙絵です。
草原でサッカー選手になる事を夢みて無心にサッカーの
ボールを蹴る男の子です。
スポーツをする子供は、いつの時代でもたくさんいます。
楽しんで夢に向かっている姿は微笑ましく応援したくなります。
頑張れ!
2013.6.6
防災訓練をしました。
消防署の方が来て、消火器や放水を新規採用の
職員が体験しました。
消火器を使う時、火に直接当てると火が自分の方に
来てしまうから火元の燃えている物をめがける事、
消火に夢中になり奥へ奥へと入ってしまいますが、
必ず自分が非難する退路を確保しておく事、万一、
退路がなくなっても壁づたいに逃げれば必ず外に
出られる事…などと沢山学びました。
さすが、餅は餅屋と言うが如くです。
ありがとうございました。
2013.7.15
東京からこんなに近い距離にこんなに自然が守られ
ている秘境があった事に驚きもし、癒されています。
ケアホームの前に菊畑があります。
4月に植えた苗は何なのかしら?と
毎日眺めていました。
グングン成長し葉も大きくなり蕾をつけ、
今朝花が咲き始めました。
大きくなった蕾が次々と控えています。
一面花盛りになったら、さぞきれいでしょうね。
どうぞ癒しにいらしてください。
2013.7.22
林の中に山百合が群生して咲く所があります。
今、次々と咲いています。
“立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花”と
歌われるが如く…と惚れ惚れとその姿を眺めます。
一輪あると部屋中にその香りを振りまきますね。
すごいなぁ〜と改めて思います。それで虫に咲いた
事を知らせ、受粉してもらうのですよね。
子孫を残していく種の強さを思います。
写真は、山百合と後には紫陽花です。
2013.7.26
花が咲いた…と言っては写メールを撮り、
虫がいた…と言っては写メールを撮る。
そんな行為に苦笑しながら、
今日も写メールを撮りました。
写真は玄関先に居た昆虫です。
カミキリ虫の一種でしょうか?大きくて立派でした。
ケイタイを近づけても逃げませんでした。
玄関の自動ドアを出た途端にそこに居た事にも
驚いています。
自然があふれています。
2013.8.15
せみが遊びに来てくれました
もう弱っていて動きもノソリノソリです。
羽がとても美しくて体はメカニックで…
また創造主の偉大さにふれました。
「神は創造する。人間は真似る。」
スペインの建築家ガウディの言葉です。
本当にそう思いますね。
小クワガタが来たり、カブトムシがいっぱいいます。
にぎやかです。
ホームページの作品の項を更新しましたので
見てください。
2013.9.20
“小さい秋をみつけた”と言う歌を口ずさみながら
庭を一周しました。たくさんの初秋を見つけました。
青い空、白い雲、吹く風は勿論、落葉、栗のイガ、
青い柚の実、そして写真は藤の種。
季節が移りゆくのを自然や草木などに感じる幸せに
満たされながら、パチリ、パチリと撮っていました。
春に開催されることが多くなった運動会が秋に
行われる小美玉市を嬉しく懐かしく思っている
50歳代です。
2013.9.28
秋です。あっちこっちに秋が溢れています。
気持ちのいい風にのって青い空のもと
サイクリングに行きませんか?
ペダルをこぐと移り変わっていく景色…最高ですよ。
つくば市には“リンリンロード”があります。
40年前には、国鉄列車“つくば線”が走っていました。
一両か二両編成で無人駅もあるローカル線でした。
そこがサイクリング専用の“リンリンロード”になっています。
車椅子はO.Kかな?
写真は膠原病友の会の機関誌“希望”の表紙絵です。
2013.10.5
近所を散策しました。
曇り空でしたのであまりいい写真は送れないのですが、
“紫しきぶ”がきれいに実をつけていたのでパチリ…
送ります。
栗のイガを踏まないように気をつけながら。
名前を知らない綺麗な花をみつけたり、
秋なのに咲いている桜の花を見つけたり、
立派な松の木を見つけたり、
お菓子の家のようなカワイイ家を見つけたり…。
秋風に誘われて、
キョロキョロ散歩するのもいいものですね。
2013.10.9
また秋を見つけたのでお知らせします。
写真は“あけび”の実です。黄緑色の肉厚な皮が
はじけて美味しそうな中身が見えています。
甘くって自然の恵みの味でした。もっと太陽に当たった
所の皮は紫色になり甘みも増します。
木の高い所になっていて採るのに一苦労です。
ところで、“あけび”の実の食べる所はわかりますか?
肉厚の皮は美味しそうですが食べないように気を付けて
ください。吐きます。
中の真一文字の白い所、黒い種がたくさんありますが、
これは食べても大丈夫です。
2013.10.22
今日は撮影会です。モデルはカマキリ嬢です。
「こんなに大きなカマキリは初めて見る!」と感激して
いると、「もっと大きいのもいるよ!」と教えられました。
大きさがわかるように煙草を置きました。
ネッ大きいでしょう!時々こっちを向いてくれました。
(威嚇していたのかな?)
撮影会が終わったらカマキリは上手にテーブルから
土の上に着地。少しだけ羽を開いて…。
飛行機のように滑走路が必要ではなくヘリコプターの
ように狭くても大丈夫でした。
2013.11.18 2
夕日に映えた湖面…
霞ヶ浦の北浦と呼ばれる所です。
太陽が沈む時見せてくれる美しい景色です。
湖面に夕日が映って…くれゆく雲と…
なんともいえない景色です。
この湖面とそのわきを走る道路のすみを犬の散歩を
しているおじさんに会いました。
自然と人間の生活が溶け合っていました。
2013.11.24
また霞ヶ浦の北浦です。穏やかな日の3時頃です。
水面にさざ波がたっている所と
鏡のようにまっ平らな所があります。
さざ波がたっている所は、風が吹いている所です。
霞ヶ浦は帆引き船で有名です。
水面を見て風が吹いている道を見て船の帆を
操るそうです。
風の道…それを教える水面…そしてそれで船を
走らせる人間…。素敵な繋がりですね。
お問い合わせ連絡は、
管理人代理へお願いします。
2012.9.13
これは、仙台三越デパートの前にある公衆電話
ボックスです。
貴婦人が使ったら合いそう…。いやいや、現代の若者も
また、一つの景色を創っていました。
ケイタイばやりで公衆電話もなくなってきましたが、
こういうボックスに入ってかけると、
言葉使いもきれいになるようですね。
さわやかさを電波に乗せて発信できるようですね。
公衆電話ボックスが、宝のタイムマシーンに見えてきて
しまいました。
2012.9.13
ここは、仙台三越デパートの前の歩道です。
同期生の個展を観たい…とやってきた帰りです。
ただひたすらやり続ける事、背伸びする事なく
自分を追求し続けたら、そこに何か生まれるのね…と
地味にコツコツと積み上げてきたものの強さに、
頭の下がる想いがしました。
悩んでなどいないで創らなくては…と背中を押された
気分でギャラリーを後にしたら、9月の陽射しをキラキラ
浴びた人々が行きかっていました。
2013.11.18 1
牛を放牧しています。
小美玉市は“酪農の里”と言われています。
ヨーグルト・プリンなど乳製品が美味しいです。
近くに乳製品の工場があります。
牛を間近で見る機会はめったにないのですが、
道路わきの牧草地に繋がれていたのでパチリ!
牛の舌って太くて長いのですね。
あれが牛タンなのか…って信じられないようでした。
牛がノソリノソリと近寄って来ると怖かった…です。
2013.4.29 1
突然ですが、引っ越しました。
ホームページのタイトルもそれに伴い変えました。
そよ風のスケッチ 〜小美玉市からこんにちは〜 です。
開いてくださいね。
茨城県小美玉市(おみたまし)は宮城県より290km程
南下した霞ヶ浦の北方にあたる自然がいっぱいの
のどかな土地です。
近くに日本湖沼の大きさで琵琶湖の次の第二位に輝く
霞ヶ浦と言う湖があります。
写真は茨城県民に親しまれている霞ヶ浦の一部“北浦”
と呼ばれている所です。
気楽に釣りを楽しむ親子連れがいました。
2012.3.14
写真は仙台博物館です。
東日本大震災で傷ついている東北の人に、
いい美術品を見る事で心を癒してほしい…と
開館以来、館外へ出した事がなく、保存の為、
年60日しか公開しない『紅白梅図屏風』を
20日も貸してくれました。
宮城県の内外からたさんの人が集まって来ました。
『美術品は決して独占すべきものではなく、
一人でも多くの人に見せ娯しませ、人間の品性を
向上させる事こそ、文化の発展に寄与する』
という静岡県のMOA美術館に感謝です。
2011.6.30
津波の被害が大きく、心に深い傷を負った子供達に
“夢”というテーマで描かせたら、さまざまな夢の絵が
できあがってきたそうです。
子供のたくましさに後押しされるようです。
私の夢は……考えてしまいました。
部屋から空を眺めると、雲が絶え間なく変化をとげ
青空に華を添えています。
私も…無心で前だけを見て進んで行こう…
澄んだ空は地上の暑さを知らないように拡がっていました。
2011.3.26 あっちゃんから届いたメール。承諾をいただいてそのまま掲載します。
「やっとライフラインが復旧しました」
こんばんは。最後のガスがさっき復旧しました。
もっと遅い…と言う話でしたので喜びもひとしおです。
電気も水道も、節電・節水を心がけています。東北電力の発電所が何箇所も被災したため
需要に供給が大幅に足りません。水道も同様です。
節電のため日の出で起きて暗くなればベッドに入っています。自然児のような生活です。
でも、使えてとてもありがたいし幸せです。
まだ二食ですし、エレベーターは止まったままですが、その内戻るでしょう。
揺れは、だいぶ少なくなりました。
シャワー浴を3月30日頃はいれるように考えて下さっています。
後は長期戦で復旧していくでしょう。
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
皆さんによろしくお伝えください。
2011.1.18
寒中お見舞い申し上げます
寒い日が続いています。
毎朝7時頃はこの位積もっていますが、午後2時頃迄にはこのように溶けます。
毎日、その繰り返しです。
日陰になっている所はシャーベット状、又は氷になっています。
電動車椅子の人や手動でも押して貰う人は外出しても大丈夫ですが、
私は自分の足で漕ぐので道路状態が悪いと滑って危険なので外出しません。
おかげで風邪もひかずに元気に冬眠を送っています。
2011.2.11
春のような陽気と思っていたら、また寒くなりました。
機関紙『希望』が送られてきました。
「アレレッ」封筒が小さくなっていました。
今迄は、折られずに送られていましたが、
3ッ折りになっていました。
不況の影響で送料を安く…でしょうか。
…どうにかならないかしら…この不況。
苦しいですが必ず良くなる時がきます。
負けないで頑張りましょうね。
2011.3.6
この写真はJR仙台駅西口にあるエレベーターです。近年、駅の外にできました。
車で仙台駅に来て、すぐの場所にあるこれで二階に上がります。改札口も二階ですが、二階のフロアーで移動する通路が充実しています。横断歩道を渡ったり、狭い歩道を行く危険がないのです。
何ヶ所もエレベーターが設置されているので、目的地の近く迄安全に行けます。歩行者も利用が多いです。このエレベーターは今までより移動を楽にしてくれました。
2011.4.13
いろいろとありがとうございます。
『生きていたら、なんとかなる。人間は立ち直れるもの。
空が青い以上、暮らすための地球はある。』
そんな言葉を頼もしく聞いています。
この度の東日本大震災は人智を越えた災害でした。
全国、世界中の人が助けてくれています。
博報堂、神戸の発案で“できますゼッケン”がボランティアに
配られました。頼む人も一目で判るので頼み易いそうです。
@医療関係A英語など外国語の通訳B大工、ヘアーケアー
などC日用雑用など。赤、青、黄、緑です。
写真は近くの33階建の高層ビルとまわりの景色です。
被災とは程遠いいつもと変わらない景色です。
ここは、地盤が硬いから助かったそうです。
2011.4.25
これは、機関紙“希望”の表表紙です。
みんなでガンバロー!という気持ちを込めました。
震災から1ヶ月半…あっちこっちで復興の光が見え始めています。
弁護士派遣(被災のための数々の事柄の対応策)・各界からの著名人の来訪(スポーツ・芸能・各国からの使者・他にもいっぱい)。津波の避難所に被災者自ら青空テントを張り瓦礫の中、助かったものを探し集め皆にコーヒーを振る舞うジャズ喫茶。揚げカマボコを作る老舗の被災者。また、抹茶をたてて人々に憩いを…という活動も出てきました。
美術界も勿論です。個展が2つ開催されました。
震災前の美しい海岸の風景、可憐な花々…こんな時にもギャラリーに足を運びたくなる人々はいるのですね。好評だったそうです。アメリカの小学校から被災地の小学校に壁いっぱいの大きな桜を作り、その花のひとつひとつにsmailなどとメッセージが書かれたものが送られてきたそうです。
又、被災地の岩手県釜石市では、こんなポスターが貼られたそうです。瓦礫の中で働く人々の写真に『やれる事をやってください。それが復興のひとつです。』また他の写真には『心まで壊されてたまるか!』『諦めるな!ホタテが笑う。』…釜石から復興ののろしが上がった。
この震災は全国的に多大な影響を及ぼしているようです。一歩一歩、少しずつ前に歩いて行きましょうね。
2011.6.1
震災後初めて遠出しました。
街にこんなスローガンの壁面がありました。
道はデコボコもなく車も歩行者も行き交っていました。一見、復旧したようにみえました。でも、デパートの高い階(食堂が多い)は [震災のため閉店しています]
という看板が目立ちました。
メディアテークも4分の1位の再開でした。7階は今年いっぱい工事が入ります。公共の施設が軒並み再開の見通しがつかない状況です。太白区役所も書類を7月中旬まで待つそうです。
津波こそ免れましたが、どこもまだ大変です。でも、皆がすごいたくましさで復旧、復興に働いています。時間はかかりますが、この強さなら大丈夫…と思って帰路に着きました。
2011.7.16
写真は仙台駅近くのビルの待合室の七夕飾りです。
今年は、復興への祈りを星に願う声が多いでしょう。
健やかな子供の成長を願う親心もあるでしょう。
南三陸町で乳児の3ヵ月検診がありました。
3月22日に初めての子として産まれ、避難所で育ち、
夜は懐中電灯でミルクを作り、やっと90日後に仮設住宅に
移れましたが、水道はまだ復旧していませんでした。
でも元気でスクスク育ち、
体重も出産時の二倍になっていました。
生きる力、子供を思う親の力は頼もしいですね。
たくましく優しい人に育て…と祈ります。